昔の人は本当に1日2食だったのか|間食と暮らしから読み直す食事の歴史
「昔の人は一日二食だった」。食事の歴史を調べると、よく出会う説明です。日本では、中世までの二食から、近世に三食が広がったという大きな流れが紹介されています。
ただ、その「二食」は何を数えたのでしょうか。朝夕の主な食事だけなのか。仕事の合間に口にしたものまで含めて、一日に二回しか食べなかったのか。この違いで、見えてくる暮らしは変わります。
二食を基本とした時代や社会はありました。しかし、「昔の人はみな、毎日二回しか食べなかった」とはまとめられません。日本の食事史と古代ギリシャ・ローマの史料から、食事の回数に隠れた違いを見ていきます。
この記事の要点
- 主な食事の回数と、間食を含めて食べた回数は区別する必要がある。
- 日本の三食化は、中世から近世にかけての変化として捉えられ、全国一斉の切り替えでは説明できない。
- 古代ギリシャの医学書には、一食・二食だけでなく、三食に慣れた人も登場する。
- 昔の習慣が分かることと、現代の健康に適した食事回数が分かることは別である。
この記事の範囲
- 対象年代・地域:日本の平安・中世から江戸時代を中心に、古典期ギリシャの医学文献とローマ帝政初期の人物を比較する。農村の間食は、後世に伝承された郷土食の記録も補助的に用いる。
- 主な史料・研究:日本の食生活史研究と図書館の文献調査、ヒポクラテス文書群『急性病の養生法』、スエトニウス『アウグストゥス伝』。
- 主な担い手:食事を記録された上層の人々、農作業に従事した人々、医学書が想定した食習慣の異なる人々。
- 比較軸:何を一食と数えるか、誰の暮らしか、史料からどこまで分かるか。
- 扱わない範囲:世界全域の食事回数の一覧、各時代の人口全体の平均、現代の二食・三食の健康効果の比較。
「二食」は、食べる機会が二回だけという意味か
たとえば、朝夕に食事を取り、仕事の合間に穀物で作ったものを食べる暮らしを考えてみましょう。これは説明のための仮の例ですが、主な食事を数えれば二食、食べた機会を数えれば三回になります。
食事の回数を比較するなら、まず数え方をそろえる必要があります。「食卓につくこと」「まとまった食事を取ること」「少量でも食べ物を口にすること」は、同じ単位ではありません。
そこで本記事では、朝夕などのまとまった食事を「主な食事」、その間に食べるものを「間食」と呼び分けます。「間食」は甘い菓子だけを意味せず、仕事を続けるために食べるものも含めた説明上の言葉です。
日本では、二食から三食へどう変わったのか
さいたま市立中央図書館の文献調査は、食生活史や民俗学の文献をもとに、平安・中世の二食と、強い労働に伴う間食、その間食が昼の食事へ組み込まれていく説明を紹介しています。中世から近世への移行、江戸時代の定着など、参照文献によって時期の示し方には幅があります。〔レファレンス協同データベース:一日三食の定着とおやつについて〕
ここから読むべきなのは、「ある年から日本人全員が昼食を始めた」という話ではありません。もともと主な食事の外側にあった食べ物が、日々の食事として位置づけられるようになった、という変化です。
ただし、昼に一食が加わる道筋だけで考えると、別の形を見落とします。江原絢子の研究は、真田家の隠居藩主・真田幸弘の江戸屋敷のものと推定される1800〜1801年の食事記録を取り上げ、朝・夕・夜食の三食を紹介しています。現在の「朝・昼・晩」と名称が一致するわけではありません。〔江原絢子「日本の伝統的食事の形成と変化」p.11〕
この例は上層の家の記録であり、江戸の全住民を代表しません。それでも、三食という同じ数字の中に、異なる食事の組み立てがあったことを示します。
畑で食べる「小昼」は、お菓子の時間とは限らない
主な食事の外側にある食べ物を、具体的に見てみましょう。農林水産省が紹介する埼玉県の「飯餅」は、残り飯を小麦粉の生地と合わせて焼く郷土食です。農作業へ持っていきやすく、昼前の「小昼(こじゅう)」や養蚕の合間に食べられたと説明されています。〔農林水産省「飯餅 埼玉県」〕
これは後世に伝わった郷土食の記録であり、同じ飯餅が平安時代から食べられていたという証拠にはできません。また、この一例から、二食だった人々が全員こうした間食を取ったともいえません。
それでも、食べ物を「正式な食事」と「それ以外」に分けたとき、後者にも生活を支える役割があったことは見えてきます。間食を数から外すと、働く一日の姿まで小さく見積もってしまうのです。
古代ギリシャには、一食・二食・三食の人が登場する
日本で語られる二食の歴史を、そのまま世界共通の順序に広げることはできません。古代ギリシャのヒポクラテス文書群に含まれる『急性病の養生法』には、食事回数の違いを前提にした議論があります。
Adams英訳の第9節では、一日に一食を取る人と二食を取る人を挙げ、慣れた習慣を急に変える問題を論じています。さらに、一日に三度のまとまった食事に慣れ、それを受けつける人もいると述べています。〔『急性病の養生法』第9節、Francis Adams英訳〕
この文章は住民の食生活調査ではありません。一食・二食・三食の人が、それぞれ何割いたかは分かりません。ここで確かめられるのは、医学の議論の中で複数の食習慣が想定されていたことです。
また、著者が重視したのは、回数だけで人をそろえることより、慣れた食べ方とその変更でした。当時の病理説明を現在の医学的助言へ移すことはできませんが、「古代には二食しかなかった」という理解を問い直す史料にはなります。
ローマ皇帝は、宴席の外でも食べていた
ローマの例では、まとまった食事の外側に目を向けてみます。2世紀前半の伝記作者スエトニウスは、初代皇帝アウグストゥスについて、空腹を感じれば夕食前でも食べたと記しています。本人の書簡として、車中で少量のパンとナツメヤシの実を食べたという内容も伝えています。〔スエトニウス『アウグストゥス伝』76節〕
これは皇帝個人の食べ方を、後代の伝記が伝えたものです。人物像を描くために選ばれた逸話であり、市民や奴隷の平均的な食生活を示すものではありません。
それでも、宴席や主な食事の記録だけでは、その人が一日に口にしたものを数え尽くせないことが分かります。豪華な食卓の描写にも、食事回数を示す短い説明にも、その外側にある食べ物を確かめる余地が残ります。
並べると、何が違って見えるか
| 事例 | 確認できること | そこからは決められないこと |
|---|---|---|
| 日本の食事史 | 二食と間食、三食化をめぐる歴史的な変化 | 全国共通の開始年や、全員の摂食回数 |
| ギリシャの医学書 | 一食・二食・三食という異なる習慣への言及 | 各習慣を持つ人の割合 |
| ローマ皇帝の伝記 | 主な食事以外にも食べたという個人の逸話 | ローマ住民一般の標準的な一日 |
この三例は、同じ時代・同じ種類の記録を比較したものではありません。世界の食事回数の順位表ではなく、「二食だった」という説明を読むとき、何を確かめればよいかを示す比較です。
史料を読むときの注意
食事の記録は、誰の、どんな目的の文章かで読める範囲が変わります。献立記録はその家の食事を、医学書は望ましい生活や治療の考え方を、伝記は選ばれた人物の姿を伝えます。それぞれを住民全体の実態へ広げるには、別の証拠が必要です。
前回の「古代インドの一日」でも、医学書が示す食べる条件と、人々が実際に食べた回数を分けました。食事回数を論じる今回も、この区別が出発点になります。
さらに、外国語の食事名を朝食・昼食・夕食と訳しただけでは、現在と同じ時刻や量だったとは分かりません。本記事では、ギリシャ語・ラテン語史料を公開英訳で確認し、分単位の時刻や一日総摂取量は復元していません。
よくある質問
日本人は、江戸時代になるまで全員二食だったのですか?
そうは断定できません。二食を基本とする説明にも、労働に伴う間食や、中世から近世にかけての変化が含まれます。「主な食事が二食」と「食べる機会が二回だけ」を分ける必要があります。
一日三食が始まった年は分かりますか?
今回の資料から、日本全国に共通する開始年は決められません。ある家や集団の記録に三食が見えることと、広く定着することは別の出来事です。
古代ギリシャやローマも二食だったのですか?
一律にはいえません。ギリシャの医学文献には複数の回数が登場し、ローマの人物伝には主な食事の外で食べる例があります。ただし、これらから各社会の平均回数までは算出できません。
昔の人にならって、二食にした方がよいのでしょうか?
歴史上の実践が確認できることだけでは、現在の自分に適しているとは判断できません。この記事の史料は、現代の二食と三食の健康効果を比較した研究ではありません。
まとめ
昔の人は本当に一日二食だったのか。答えは、二食を基本とした時代や社会はあるが、それだけでは一日に何回食べたかも、世界の人々の暮らしも説明できない、です。
次に「昔は二食だった」という説明に出会ったら、誰の、いつの、何を数えた二食なのかを確かめてみてください。その三つをたどると、食卓の回数だけでは見えなかった、仕事の合間や移動中の食べ物まで視野に入ってきます。
参考文献・資料
一次史料・翻訳
- Hippocratic Corpus, On Regimen in Acute Diseases, Part 9. Francis Adams英訳、The Internet Classics Archive公開。一食・二食・三食への言及を含む第9節。ヒポクラテス個人の自筆とは断定せず、文書群の一篇として扱った。
- Suetonius, The Life of Augustus, 76. J. C. Rolfe英訳、Loeb Classical Library(1913)、LacusCurtius公開。アウグストゥスの食習慣。
食生活史研究
- 江原絢子「日本の伝統的食事の形成と変化」『日本食生活学会誌』10巻4号、2000年、pp.9–13。参照箇所p.11。DOI: 10.2740/jisdh.10.4_9。論文情報・本文PDF。『御膳日記』の記述は本研究を介して確認した。
図書館・公的機関の資料
- さいたま市立中央図書館「日本では、いつからどのような理由で、1日3食が定着したのか?また、おやつはどのような位置づけか?」レファレンス協同データベース、2018年登録・更新。回答と参照文献。瀬川清子『食生活の歴史』、福田アジオほか編『日本民俗大辞典』などの紹介を参照。紹介された書籍本文は直接確認していない。
- 農林水産省「うちの郷土料理:飯餅 埼玉県」。小昼・農作業・養蚕との関係。伝承された郷土食の説明であり、古代・中世の開始年代を示す資料としては用いていない。
