KNOWLEDGE HUB
世界の医療文明
人類は病をどのように説明し、治し、そして病になる前の暮らしをどう整えてきたのか。

2026.09.09
食後は歩く?休む?|『養生訓』と現代研究から考える食後の過ごし方
江戸時代の養生書『養生訓』には、食後には数百歩ほど歩くよう勧める一節があります。食べた後は動かず、消化のために休んだ方がよいと思っている人には、少し意外な助言かもしれません。 ところが同じ書物を読み進めると、食後の力仕事…

2026.09.08
『喫茶養生記』から、なぜ桑だけが消えたのか|茶の湯・養蚕・流通の分かれ道
鎌倉時代の『喫茶養生記』には、茶だけでなく桑も繰り返し登場します。上巻は茶、下巻では桑粥、桑湯、桑葉、桑椹などを扱い、室町時代には、この本が「茶桑経」と呼ばれた記録まで残りました。 それなのに現在、「栄西が広めたもの」と…

2026.09.05
『喫茶養生記』はなぜ茶と桑の本だったのか|栄西が宋から持ち帰った養生
『喫茶養生記』という書名から思い浮かぶのは、一服の茶かもしれません。鎌倉時代の僧・栄西が、茶を養生の「仙薬」と称え、その飲み方と効用を日本へ伝えた書として知られています。 ところが全二巻を開くと、上巻の中心は茶である一方…

2026.09.04
養生とは何か|中国の「命を養う」思想は、日本でどう変わったのか
中国・湖南省の馬王堆三号墓からは、人が腕を上げ、身体を曲げ、さまざまな姿勢を取る様子を描いた絹の図が出土しました。墓が閉じられたのは前漢の紀元前168年です。後に「導引図」と呼ばれたこの資料は、薬を飲むことだけではない身…

2026.09.01
古代エジプトのミイラづくりは、医学の発達につながったのか|解剖知識と死者の身体
古代エジプトのミイラ職人は、鼻から脳を取り出し、腹部を開いて内臓を処理した。それなら、人体の内部に詳しく、その知識が医学や解剖学を発達させたのではないか——。これは直感的で、よく語られる説明です。 結論からいえば、ミイラ…

2026.08.31
グンデシャープールは「世界最古の大学病院」だったのか|古代ペルシャ医学の交差点
グンデシャープールを調べると、「世界最古の大学」「世界最初の教育病院」という説明に出会います。古代ペルシャに、講義室、図書館、病棟を備えた医学都市があり、ギリシャ・ペルシャ・インドの医師が一緒に学んだ――そんな印象を受け…

2026.08.30
西洋の薬草は、なぜ香りで選ばれたのか|ローズマリー・セージ・タイム・ラベンダー
ローズマリーの針のような葉を指でしごく。セージの銀緑色の葉をちぎる。タイムの小枝を鍋へ落とし、ラベンダーの花穂を布袋へ詰める。 形も使う場面も違うのに、四つの植物には、触れた瞬間に香りが立つという共通点があります。いずれ…

2026.08.26
古代ローマ医学|ギリシャの知識は、都市と軍隊でどう変わったか
古代ローマでは、ギリシャ語で医学を学んだ医師が患者を診る一方、水道、公衆浴場、軍営、交易路が、広い帝国の中で人と物を動かしていました。しかし、一つの医療制度が全住民へ同じ治療を届けたわけではありません。家庭の手当て、医師…

2026.08.24
イスラム医学では、薬は誰が作り、どう管理されたのか
イスラム黄金時代の医学を語るとき、ラーズィーやイブン・シーナーの名はよく登場します。しかし、医師が薬の名前を紙に書いただけでは、患者が飲める薬にはなりません。 薬材を見分け、必要な量を量り、砕き、ふるい、煮詰め、混ぜ、保…

2026.08.21
古代ギリシャでは、睡眠も治療だったのか|神殿の夢・養生・眠りの薬
古代ギリシャの医療では、眠ることが治療と結びつく場面がありました。医神アスクレピオスの聖域を訪れた人々は、神聖な場所で夜を過ごし、夢の中で神から治療や指示を受けようとしました。 一方、ヒポクラテスの名に結びつけられた医学…